- 「少しずつ凍ってきました」
#100 '07 12/27 17:01
ここ2~3日の凍みで氷が少しずつできてきました。
今朝の気温は-8度、水しぶきの飛んでいる所には
かわいい氷の赤ちゃんがいっぱい付いていました
つららも所狭しと伸びています。これらが時間をかけて大きくなり
1月中旬頃にはブルーの美しい氷点下の森を作るのです。
-
- 「氷点下の森」
#99 '07 12/23 14:43
小林繁が氷点下の森を作り始めてから今年で37年目である
その長い年月,毎年毎年休むことなくこの氷の森を作ってきました。
なぜこの氷点下の森が生まれたのかその生い立ちを紹介しましょう。
岐阜新聞 素描から
「マイナスの水をプラスの水に」
昭和四十年代、日本列島改造論の渦の中で、わが村にも開発の波が押し寄せてきた。
スキー場、ゴルフ場開発のプロジェクトが組まれ、都会の不動産屋が入り、
さまざまな情報が流れたものである。
資本力がない地元の旅館はどう生き残るか、緊急課題である。
春夏秋のシーズンはそれなりに安定していたが、
冬季は客足が落ち込み、典型的な夏型観光であった。
四季を通して安定した経営をするにはどうしたらいいか、
特に冬場の誘客について真剣に取り組んでた私の脳裏に、ひらめいたことがある。
子供の頃、朝夕の小学校への通学路、山の岩場から流れ落ちる水が、
冷たい川風を受けてブルーにきらめく氷になっていた。
この光景が子供の私の脳裏に強く焼き付けられていた。
「あのブルーの氷を作ってみよう」。
決意も新たに人工的氷作りを始めた。
それは豊富な水量、強い水圧、長期間の放水の地下吸水力、日照時間など、
氷の長期保存に耐える条件調査を行い、六百メートル上流の谷川の水を活用。
高さ百メートルの所にタンクを備え付けるなどの大変な難工事の末、放水を始めた。
霧のように飛び散った水は、数日後、樹木が青白い衣装を身にまとうかのように、
ガラスの谷間を作った。
マイナス十五、六度の厳寒の夜、休むことなく苦しい作業は続いた。
ようやくブルーに輝く氷の森が出現したのが昭和四十六年一月。
長くつらい氷点下の寒さ、これを逆手に取って、
飛騨川源流の「マイナスの水」を、「プラスの水」に変えた私は、
この森を『氷点下の森』と名付け、多くの人に感動をと願いながら、
手作り看板を立てた。
以来、飛騨の冬の風物詩としてしられるようになった。
「氷点下の森」主宰 小林 繁
-
- 「冬の自然散歩村を歩く」
#98 '07 12/21 11:46
この時期の自然散歩村はとても静かで、
私が雪の上を歩く(ぎゅぎゅ)という音しか聞こえない、
頬に当たる風は身を切るように冷たいがそれもなんとなく心地よい気がする。
池にできた模様もおもしろみがあってよい、
冬の自然散歩村の中を歩くのもいいものです。
-
- 「水車小屋とわらび粉作りVol.2」
#97 '07 12/20 16:19
秋神温泉山村資料室には、わらび粉作りに関しての貴重な資料が保存されています。
-